竹想花伝 翠(すい)の竹生(たかふ)に月夜影 稲穂に似たる紫は 二目と見れぬ稀有な花 最期の時を飾らんと 今を盛りと咲き満つる 風も無き夜に 竹葉(たかは)が騒ぎ 月花に浮ぶ舞姿 『汝 仕舞のこの際(きわ)に 何を覓(ま)ぎて此処に立つ』 葉音の影の 問声(といごえ)に 答(いら)え代わりの 移舞(うつりまい) 虚仮(こけ)の一心 仕似(しに)せるほどに 透影(きかげ)の中で 孛(ひろこ)へり 和魂(にきたま)宿らせ 女(おな)となり 鬼を宿らせ 鬼魅(きみ)となる 神に 修羅に 狂人(たぶれびと)にも成り変り 舞いて 舞いて 花を知り 偏(ひとえ)に舞いて 花を失(う)し やがて 誠の花と成る 枯れ逝く時分に 見継ぐ幽玄 遺す種子(たなご)に 遺念を委ね 有心を払い 無心に還る 尽未来際(じんみらいさい)嵩を増し 長(たけ)を長じて 花伝となりぬ |
このイラストはrondoさんがPixia倶楽部のお祭りに出されているのを見て、一目でほれ込んでしまったイラストです。
朱雀は前々から百年に一度しか花が咲かず、花が咲くと枯れてしまう竹の花の詩を書きたいと思っていたのですが、
いざ書くとなると、なかなか上手くまとまらず手をつけては止めを繰り返していました。
それがこの舞姿の青年と竹林の美しいイラストを見て思わず『これだ!』とひらめいたんです。
rondoさんの素晴らしいイラストを見ていると沢山の言の葉が舞い降りてきて、今まであんなに悩んで
サッパリ書けなかったものが一気に出来上がりました。
rondoさんのイラストのタイトルにもなっている『時分の花』は、世阿弥の『風姿花伝』に出て来る言葉です。
『風姿花伝』とは能の稽古のあり様を示した教育の書とでもいえるような芸術論で、若い時にはその風体から10代は10代の花、
20代は20代の花というように簡単に花を咲かす事ができますが、これは『真の花』ではなく『時分の花』といい、
40才からはもう『時分の花』は枯れてしまうので、己の力で本当の花を咲かせて行かなくてはならないというものです。
そしてこの詩は、今まさに百年に一度の花を咲かせ枯れてゆこうとしている竹が、今を盛りに『時分の花』を咲かせて
舞う青年の中に、さらに年を重ね舞い続ける花追い人の姿を見て、自分の残す種に思いを留めようとし、
やがて再び枯れた竹林にその思いを乗せて若竹が育ってゆくという物語風に仕立てた詩です。
rondoさん、無理矢理コラボにしてしまうことをお許し頂いて、本当にありがとうございました!